2010年2月10日

北船場近代建築内部見学ツアー(6)

御堂筋に近づきながら「芝川ビル」へ来ました。

昭和2(1927)年、南米マヤ・インカの装飾による建設。

HPから引用すれば、
芝川ビルを建てた芝川又四郎は、かねてから店を不燃性の建物に建替えたいと思っていました。そんな折、大阪倶楽部において建築家の片岡安のスピーチを聞き、鉄筋コンクリートが耐震・耐火性に優れていることを知り、鉄筋コンクリートへの建て替えを決意したと言います。こうして建設された芝川ビルは、耐震・耐火性に細心の注意が払われており、その意気込みは、現在も建物の随所に見ることができます。(ここまで)

大阪倶楽部片岡安(中央公会堂など設計)とやはり近代建築と深く関わりのある名が出てきます。
芝川家は、元々欧米品の輸入業で栄えたそうです。その後は、不動産業中心となっているようです。
































実際に、芝川ビルに入ると1階のスイーツ屋さんは大人気のようでした。
テナント標記を見ると3階に㈱百又――の字が。。。

そう言えば、梅田に百又ビルってのがありましたね。テナントに三番街シネマが入ってました。個人的にかなり思い出深い訳ですが、いまはもう映画館もありませんし、大幅に改修されました。持主は百又(芝川家)のままなんでしょうか…

さて、階段を上って屋上へ。
















ガイド、のりみさんの解説と資料
















いま、屋上部分を増築し直していますが、施行当初に昔の設計図はなかった。施行してから図面が出てきたそうですが、ほぼデザインに違いがなかったそうです。
















一度、増床・増築でコンクリを打ち込んだことがあるそうです。
その後、建物の保全などからコンクリをハツって元に戻したとのこと。
その理由は帰り間際に判明、写真の色からコンクリが分かります。

ここも実業家たちの社交場だったんでしょうね。
セレブになった気分でこのひと時を楽しみました。




































降りる間際にトイレのタイルについて。
芝川家はここ大阪伏見から兵庫西宮の甲東園へ本拠地を移したことがあったそうです。この新館を設計した建築家が関西建築界の父と言われる武田五一。すばらしい建築物でしたが、残念ながら阪神大震災で大被害を受け解体となってしまった。。。その時に残された様々なタイルをここ芝川ビルへ移設しているということでした。

いろんな形で歴史や文化を保全しているんですね。
素晴らしいことだと思いました(^^


スライドショー(大きい画面は⇒こちら

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